経過と状況

妻(当時57歳)が脳出血で倒れたのは、前年の6月に心筋梗塞で横浜南部病院の循環器科へ2週間入院していた関係で、心臓のエコー検査に行った時だった。

検査室へ入って5分位した時に看護婦さんが呼びに来たので検査室に入っていくと妻が検査ベッドの上で左手を私のほうへ出しながら、必死に起き上がろうとしていた。

看護婦さんの知らせで循環器の妻の担当の野沢先生が飛んで来てくれて「脳溢血だ」と言って脳外科の先生に連絡を入れストレッチャーに乗せて脳外科の先生が待っている診察室に行った。

野沢先生が「脳梗塞なら心配しなくてもいいですよ、直ぐに詰まっている所を見つけて処置すれば大丈夫だから」と言って下さった。

しかし、暫くして残念そうに「脳出血だった、手術しないと駄目だ」と言って「脳外科の先生には良く話しておいたから、先生の指示に従って下さい」と言って循環器科の診察室に戻っていかれた。

その後、CTやらなにやら検査をして集中治療室で現在行われている手術が終わるのを待ち、終わり次第妻の手術が行われる事となった。

連絡をした子供たちが駆けつけた時は7時だった。その時,担当の秋山先生が「片方の瞳孔が開きかけてきたので前の手術の終わるのを待たずに手術を行いますので、今のうちに面会をして下さい」と言われ、皆急いで妻の許に行き髪の毛をそり落とした妻と面会をした。

その後、娘と私が残り、手術の終わるのを6時間まった。

脳外科の部長先生が来られて「手術は順調に無事に終わりました。しかし、出血の範囲が想像以上に広く、脳のダメージがひどいので、どの程度回復出来るかは何とも言えない、意思の疎通はかなり難しいと思う、又、食事も口からとれる様になるかも分らない、もしも元気になられても右半身の麻痺は免れないのと、言語障害が残りますので大変でしょうが頑張って下さい」との説明があり、その後、担当の秋山先生が「手術は成功しましたが、出血の範囲が広くどの程度まで回復出来るか分らないが・・・・」と言って後の話は部長先生の話と同じだった。又、「今の処は頭蓋骨は外して有ります」と云われた時にはビックリして娘と顔を見合わせてしまった。先生曰く「これから脳が腫れて来るので、今頭蓋骨を元に戻すと一番腫れたときにその圧力で余計脳にダメージを与えてしまうので腫れの収まる3週間位経ったらもう一度手術をして、外してある頭蓋骨を戻します」との事だった。

今日から3日間集中治療室にて過ごし、その後、個室に移るとの事だった。

説明を聞き、娘と二人家へ帰る事にしたが、手術の成功の安堵感と、その後の障害の重さが重なり、複雑だった。

 

入院(横浜南部病院)

 平成15年2月5日より集中治療室に3日間の予定だったが2日で個室に移され個室で10日間、その後6人部屋に移った。

手術後1週間位で手術をして凹んでいた箇所が平らになり、又、1週間位で膨らんできた。その後10日位で腫れが引き骨を元に戻す手術をした。その間、意識は戻らなかった。秋山先生も「もう戻ると思っていましたがちょっと遅いですね。でも、1ヶ月以上経ってから戻る人も居ますのであまり心配しない様に」とCTの写真の説明をしながら元気ずけてくれた。

看護婦さんも皆さん親切で「今日は少しだけど目を開けたんですよ」とか「手を握ったら、微かだけど握り帰してくれた様な感じがしましたよ」とか、ほんの些細なこと迄話してくれた。

一ヶ月を過ぎた頃から徐々に目を開けている時間が長くなり、私のことが分る様になってきた。

毎日ではないが、ヨーグルトとかプリンを少しずつ食べる様になってきた。と言っても、小さなスプーンに一口二口しか食べられなかったが希望が見えてきた気がした。

3月31日、今日退院してこのまま言語療法士の居る屏風ヶ浦病院へ転院することとなった。民間のストレッチャーで移動できる車を頼んで転院することにした。

言語療法士は神奈川県下でも少なく一日でも早い言語のリハビリを開始したほうが良いとの判断で決めた。

中々ST(言語療法士)とPT(理学療法士)が揃っている病院は少ないとの事だった。

 

屏風ヶ浦病院

平成15年4月1日より屏風ヶ浦病院へ転院しました。

担当になった先生から「一ヵ月の内に口から摂取出来なければ“胃ろう”の手術をします」と言われ正直驚いた、「胃ろうの手術をしにこちらに転院したのじゃないんで、リハビリの様子も見ないで決め付けないで欲しい、STの先生にもまだ会っても居ないし、今日来たばかりなのに

なぜ決めるのですか」と、最初からケンカ腰だった(この先生とはお辞めになる迄必要なこと意外は口を利かなかったし、担当が外れる2ヶ月間ベットの傍にも来なかった)。

ここに来て5日目位に口から直接胃に栄養液を送っていたチューブを外し重湯の様な物から食べ始めた。STの先生が食事のときのベッドの角度を注意書きとして頭の上方に貼って下さって、看護婦さんでも、ワーカーの人でも分るようにして、食事が出来るようになった。

婦長さんや東(ひがし)看護婦さんには非常に良くして下さり感謝にたえません。又、ワーカーの人たちも常に声を掛けてくださり、ご自分の経験談等色々話して下さり、力になってくれた。

2週間目に入り本格的にST(理学療法)やPT(言語療法)のリハビリが始まった。

嚥下も大分良くなり、味噌汁等もとろみを付けずに食事に出てくるようになったのは3週間目の半ばころだった。

3ヶ月目から4階の病棟に移り(それまでは3階だった)担当の先生も変わり(永田先生)、毎日ベットの脇に来て声を掛けて下さり様子を見てくれた。

又、毎日々PT・STのリハビリを続けた。

自分で車椅子を動かせるようになり、病棟の廊下を行ったり来たり出来るようになった。

私が毎日2時頃に見舞いに行くので、1時間も前からエレベーターの前で待っているようになり、すっかり有名になった。

8月の末に退院となり、これからは週に2日リハビリに通院することになった。